明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
CONERIは、今年もやはり言葉の力を信じます。
言葉には、未来を変える力があります。
インスタなどのSNSで上手に情報発信をしている人や企業が注目を集めやすい時代になっていますが、それは動画であれ写真であれ、その企画段階には緻密で豊穣な言葉があるものです。
言葉でターゲットを規定し、言葉で方向性を規定し、言葉で独自性を規定します。
その水面下が言葉によって正確に固められるので、日々の情報発信に一貫性があり、「らしさ」独自の世界観の構築につながります。
今年も、一生懸命がんばります。よろしくお願いします。
今年もありがとうございました!
見込み客を獲得し、アプローチする主戦場はネットとなり、YouTubeやInstagram、そしてGoogleのアルゴリムに従い、それらは、スマホと親しむ私たちの思考の過程さえ変えようとしています。見出し程度を1、2秒で渡り歩き、同じような価値観や嗜好のコンテンツがAIによって選別されて流れてきて、結局、変化ではなく変わらないことに心地よさを覚えてしまったようにさえ感じてしまいます。
このような状況に、今年もやはり言葉という観点で向き合った1年でした。そして、人様のために尽くす言葉から、ようやく自分のために尽くす言葉へと矛先を大きく変えることができた1年でした。自分に戻ると、そこには感覚器を晒した無防備な存在がありました。心を亡くして五感を閉じ、思考だけで言葉を書いていた自分に気づきました。
AIはまだ人間ほどの感覚器を持ちません。時間の問題かもしれませんし、近未来には人間の感覚器が退化してAIと同じようになるのかもしれませんが、現在の人間が人間である所以は、五感を通して「感じること」であり、感じたことを言葉にして、体温と体重のある言葉を人に届ける事が、生きる豊かさにつながると感じています。感情が湧き起こるのは、思考があるから。その思考というマグマは自分が温めている以上、そこから湧き起こる喜怒哀楽は、人に向けるものではなく、自分を知るために神様が与えてくれたものだとも思いました。
思考は思考で留まらず、思考が感情を呼び覚まし、感情が言葉となって溢れ出す。その意味で、人様の思いを聞き取って言語化するコピーライターの仕事は、私たち一人ひとり、つまり電気と同じで、発電所から変電所を経るごとにエネルギーロスが生じるのですから、発電したそのとき、その人自身によって言語化されることが最も感情の乗っている言葉となるのではないか。そして、そのような言葉を私たちは求めていると考えています。このことを、まずは自分のやっている学習塾で実験をしていますし、コピーライターとして取引をいただいているお客さまにも申し上げました。
激しく変化するアルゴリズムに対応しながらも、言葉と向き合い、つまりは思考や感情と向き合い、言葉を生かして豊かに生きるとはどういうことかを考えた1年でした。その時に、学習塾で向き合っている10代の成長ただ中の子どもたちに教えられることがたくさんありました。今年1年、ご縁をいただいたりお世話になった方に、深く御礼を申し上げます。来る年もどうぞよろしくお願いいたします。良い年をお迎えください。
どこから発している言葉か
広告を学んだ人はご存知かもしれませんが、通販の成功をアメリカの新聞広告に習います。庭の広いアメリカ郊外の新聞にはバラの花の種が通販で売られ、とてもよく売れたそうです。その新聞広告における通販を日本に輸入した歴史があります。しかし、メディアを取り巻く状況は変わり、新しい手法も出てきます。SNSなどでみられる「案件」と言われているものは、企業がフォロワー数の多い人気you tuberなどにお願いをしてPRをしてもらう手法のようです。それを見ながら、言葉の本質を思いました。「どこから発している言葉か」ということです。
you tuberは、自分の好きなジャンルの情報(言語/非言語)を発信して、私たちはその番組などを楽しみつつ、その発信者にも好意を抱きます。好きでやっているという波動のようなものが、自然と私たちを惹きつけます。しかし、案件というのは、そのテンションがない場合が多いように私は感じています。構えている場合が多い。売らなきゃ、好かれなきゃ・・・。見ている方は、「あ、案件ね」と思って少し意識が散漫になったりします。
広告を学ぶときに「消費者心理」という科目がありましたが、どうやら私たちは今、消費者の心理を学ぶよりも、自分の心理を振り返ってみることの方が大切なように思います。それは、右肩上がりの経済成長の勢いが止まり、右も左もわからずにただ成長の波に飲まれていた私たちが、少し立ち止まり、周囲の状況を見る気持ちのゆとりができたことと無関係ではないように思います。成長期には無視されたり見落とされていたりした気持ちにも少しずつ光が当たっている時代だと感じています。パラダイムシフトは、こういうところに端を発して起きるのではとさえ思ってしまいます。
情報過多の中で広告の言葉を一定量浴びた私たちは、その感度も高まっているように思います。ですから、情報の発信者が本当に好きでおすすめしたいものなのか、言わされているのか、はたまた競合を陥れようとする悪意が潜んでいるのか、自己顕示欲なのか。言葉の水面下には感情があり、その前には思考があり、その前にはその人や企業の在り方が根っこをおろしています。情報を発信するときは、そこまでを振り返り、点検してみることが必要な時代になったと思っています。つまり、言葉を発することは、生き方を振り返り、整えることと同義になったと言っても過言ではないように思います。
言葉の専門家
すごいなあと尊敬しているデザイナーさんがCONERIのことをお客さまに紹介していただくときに「コピーライターというよりも、言葉の専門家」とお伝えしてくださったそうです。それをお聞きして、現在の自分のことを的確に言ってくれたなと嬉しく思いました。
広告主の商品やサービスにおけるメッセージを見出し言語化したり、社長インタビューを文章化したりしてトップメッセージを書く経験を通して、生きていくためには「気持ちの言語化」が大切だと気づきました。言葉の前には思考があり、思考は感情が規定し、その前提に自己または自社のあり方があります。つまり言葉は、思考と感情、あり方の結果で、それらを整えることが、より良い言葉の選択につながると言えます。言葉の選択は、未来の選択です。
コピーライターは、商業文を書く職業だと2000年前後には教わりましたが、いまやその範疇を超え、人が歩を進めるのために、混沌を言葉で整理し、思考を整え、感情を整え、あり方を考える。このあたりのことがとても大切になってきていると考えています。考えるとは、具体と抽象を行ったり来たりしながら、新しい概念を獲得していくことであり、言葉の専門家とはつまり、そのプロセスの伴走と、そこから導かれる言葉の整理ができることを意味するのだろうと、現在進行形ではありますが考えています。
いま、思うこと
昨日行われた某社プロジェクトのキックオフにて、やはりコピーライターとしてお声がけをいただいているので、言葉の観点から思うことを少し申し上げました。
お付き合いいただいている全ての企業さんに共通するのは、自社の製品やサービスを今以上に売りたいこと。これは、時代を問わず普遍的な願いだと思います。そのために、言葉は何ができるか?
コピーライターは、その職業の成り立ちから新聞広告と親和性の高いもので、メディアという土台の上に成っていた仕事です。認知から説得まで、つまり意識変容から行動変容を促すことが言葉でどこまでできるか。「マス4媒体」という言葉が踊っていた頃には、そういう理論が力を持っていました。しかし、私自身、説得されてまでモノを買いたくないと最近は思います。いつも意識の片隅にあって、いざというきっかけやタイミングで、ポチッと購入ボタンを押す、なんだかそういう感じが「いま」かなあと思います。
いきおい、言葉も変わってくるように感じています。「地」の時代から「風」の時代へという時代空気の変化を主張される向きもありますが、言葉も、地から風に応じた感覚、感性が求められているように思います。具体的にそれがどういうことか、それはプロジェクトの進捗とともに考えなくてはならない課題です。これまでコピーライターとしてやってきたことが無駄という意味ではなく、生かしながら変化を楽しむ、そういう感覚でお役に立てるよう力を尽くします。