言葉と一緒にあるもの

わたしたちが、国語の読解問題で
満点を取ることが一般的でないという事実は、
日常生活にあふれている言葉が
客観的に注意深く読み取られている
ということは、ほぼ期待してはいけない
ということを意味しています。
この事実に諦めを抱く人は、無口になり、
挑む人は、饒舌になる。

言葉は、万能ではない。
限界があるのだという論説は、
言語論では有名はことであり、
わたしたちは、その限界を認め、
それでもなお、伝えたいと願う。

伝えたいと願う様子で
わかりやすいのは、子ども。
幼稚園や学校であったことを
機関銃のように話す姿は、
人が言葉を繰り出す自然な欲求を
見ているようで、気持ちのいいものです。

言葉は、それ単独が記号的にあるのではなく、
伝えたい気持ちや
働きかけたい熱意という
外向きのものと、
それを支える自己肯定感、
つまり自分への愛の深さを
目に見えるかたちに置き換えたものと
見るのが、実態に近いように思います。

言葉を整えることは、
気持ちを整えること。
だから、言葉だけくださいという
愛のないオーダーは、
あまり真剣に付き合いたいと思わなくなりました。
気持ちを通い合わせる関係性のなかで
初めて、実感を伴う言葉が生まれてきます。


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