<モノサシの誤りかもしれないという仮説>
【これも、コピーライターの視点_141】
ゆとり教育は失敗だったという向きがあることは誰もが聞いたことがあると思います。しかし、わたしは、ゆとり教育の評価を、これまでと同じ偏差値ではかろうとすることに無理があるのではないかと感じることがあります。もっと多様な評価の観点はなかったのか。教育の現場にはあったのかもしれませんが、社会的にはどうしても大学入試という「出口」が変わっていない以上、失敗となっているのかもしれません。
このように、新しい取り組みには、新しい評価指標が必要です。教育の場合、どのような「学力」を子どもにつけるのか、ということがその最大にして本質的な軸。企業経営であれば、どっちに転んだって「儲け」というものが重要ですが、その儲けを生み出す過程が、これまでとは変わってきている。ある建材メーカーからの相談で、コミュニケーション戦略の構想・企画・制作・運用についてお話をする機会に恵まれました。そこで少し考えたこと。
いつの時代も、企業はモノやサービスを売らなくてはならない。売上とか粗利率という「出口」を保証するには、その過程が時代に応じたものでなくてはなりません。いま、この時代を生きる私たちに働きかけることで、心を揺さぶり「買ってみよう」と思わせることが必要です。その過程は、コピーライターの開発した言葉も一つの軸になり得ますが、営業マン一人ひとりの考え方やものの見方が問われる時代です。そして、組織である以上、その考え方に対する評価も必要。意識が変われば行動が変わり、行動が変われば売上が変わるとするなら、意識の変容を捉えた社員の評価をトップは観察する必要があります。
わたしは、ゆとり教育の世代は、社会が言うほど悪いものではないのではないかと思います。社会のモノサシで見ず、一人ひとりの人間のなかには、ゆとり教育でしか得られなかった良さが必ずあるはずです。人を生かすも殺すも、トップの決める人の評価の視点であり、それは言葉の仕事と密接にかかわってきます。CONERIが言葉と思考をセットにして売っているのには、そういう理由もあります。
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