<魂>

【これも、コピーライターの視点_145】

目に見えない世界に言及するとおかしくなったのではないかと思われる方も多いとおもいますが、何となく感じちゃったんですね。魂というやつを。いま生きている現世、その前の前世、そして来世。ずっと魂はあって、現世にわたしたちは肉体を借りて降りてきているのだという説を、根拠もありませんが肯定してしまいます。幼子の観察をしているとよくわかりますが、暴れずにおれないとか、泣かずにいられないとか、極端な感情表現は、魂の居場所として心地よくないよ、というメッセージと見ると、彼らの行為をありのまま受け止めて、包容できそうに思います。

言葉というのもまた、その方法の一つではないかということです。わたしはコピーライターの仕事のなかでも、人を解放する言葉を指向する傾向にあるように自認しています。何かにとらわれて苦しんでいる状況からふっと楽に抜け出せる言葉。広告という企業活動の一環を支援するのも言葉なら、人は自分が救われたり、自由になったり、テンションが上がったりしたときに、財布のひもを緩めて、社会とリンクしようという意欲がわいてくるのではないかと思います。

言葉が社員の成長に生かせるというのも、まずはありのままの存在を肯定できるところからスタートするのではないか。それぞれの存在を認め合うところに、成長の原点があります。それは、魂は平等だということでしょうか。生きづらさを抱えながらも何とか魂を磨きたいと願うのが人間であるとするなら、あとは時間の問題でしょう。歯車がかみ合うには、どうしても時間、タイミングが必要です。人間をどのような存在ととらえるかによって、言葉が変わってきます。その言葉が、企業のコミュニケーションの一つであるなら、ブランド価値に影響を及ぼします。

魂のレベルで生き方を見通していくと、その安定する方向は意外と自然に見えてくるように思います。余計な雑音が耳に入ってこなくなるし、魂の連続性が見えれば、肉体を与えられているうちにやるべきことも見えてくるというのでしょうか。昨夜は、得意先の新年会(2月ですが!)で、こんな話をしました。生きることは、魂を磨いていくこと。見えない世界の話ではありますが、信じる価値のある考え方であると感じています。


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