「共感社会から共鳴社会へ」
コピーライターの考えていること#02
「共感社会から共鳴社会へ」
・きょうかん【共感】(sympathyの訳語)他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解したりすること。同感。
・どうかん【同感】同じように感ずること。同じ考え。
SNS時代のマーケティング理論では、共感がコミュニケーションのはじめに来ると言われていますが、おそらくそれは理屈のうえのことであり、実際は無理があると思っています。ここに挙げている言葉の定義は広辞苑第5版からですが、共感で「全く同じように」というのは本当に無理な話で、それぞれに自分の経験や現在の感情に照らし合わせて、心を響かせているのだとわたしは思います。自分の文脈で影になっている部分には、共感しづらい。やはり、この時代は誰もが「自分」に焦点を当てているのではないか。個人主義の時代の最果て。自分の魂に素直に生きるというのが無理のない方向で、それを外部の刺激(言葉など)によって増幅されたり、逆にストレスを掛けられたりしているのがこの時代のコミュニケーションだと考えています。つまり、一人ひとりは、自分の魂に共鳴しようとしている。個人の共鳴の和がおりんのように響きあうと、共感が生まれるのではないか。共鳴できる言葉が「届く言葉」なのだと思うのです。共感社会から共鳴社会へ。共感形成の視点で論文を書かせていただいてから1年。共感から共鳴へ、わたしの考えは少しかわりつつあります。
きょうめい【共鳴】①[理](resonance)物理系が外部からの刺激で固有振動を始めること。特に刺激が固有振動に近い振動数を持つ場合を指す。共振。②[化]ポーリングが提唱した、分子の化学構造についての概念。③転じて、他人の思想や意見に同感の念を起すこと。
付録:共感形成の視点に立った「土木」の論考(https://policy-practice.com/db/4_215.pdf)