CONERIの変遷(働き方)
創業時は高松市の郊外に事務所を設けました。当時は、出資してくださった役員の方がされていた建設業の仕事も手伝っていて、トラックなどを駐車するスペースが必要だったこともありました。そこには1年もいなかったと思います。すぐに電通の方と知り合い、こっち(高松市の中心部)に出てこないの?と言ってくださり、市役所の横の空きテナントにご縁をいただきました。
その間、香川大学から大阪大学に着任された教授に「一緒に大阪に来ていただけますか」とのお声がけをいただき、研究の世界に興味を持つようになります。論文を何本か発表させていただくご縁に恵まれました。
・例としてこのような論文を発表させていただきました。
「共感形成の視点に立った『土木』の論考」,人見訓嘉,葉健人,猪井博登,土井健司,実践政策学,Vol.4 No.2 pp.215-222,2018年12月,学術論文
大阪に頻繁に通うようになり、教えるということにも興味を持ち始め、「事務所を稼ぐスペースにしよう」「言葉の仕事という軸足をぶらさずにできることを考えよう」と発想し、これも現在の共同経営者である徳倉さんと意気投合し、国語・現代文の単科塾「OSアカデミア」を立ち上げました。仕事場はそこに移し、番町から中央町へと引っ越しました。
コロナ禍で、オンラインの打ち合わせが増え、現在は、事務所または自宅に居ながら、CONERIのほぼ全ての仕事ができるようになりました。大学院もzoomとリアルのハイブリッドが多く、わたしはzoomに甘えています。OSアカデミアの授業も、zoomとリアルのハイブリッドが増えています。オンラインとか在宅勤務というこれまでの常識を更新する出来事は、CONERIにとっては追い風となっています。
クリエイティブが自由に生かせる社会。これがCONERIの貢献したい社会です。その意味で、働き方の自由は、発想の自由に繋がっている感じもして、いろんな意味で肩の力が抜けてきた今日この頃です。