言葉は心
言葉とは心。
コピーライターは、主に商業における言葉を扱いますが、
このシンプルな定義を忘れては、共感を形成することはできないと思う。
自戒をこめて胸に刻む。
特命に応える
社運を賭けたブランディングにオファーをいただき、
昨日のキックオフミーティングに出席させていただくなかで、
今回もやらせていただこうと腹を括りました。
わたし以上にノウハウや経験を持つ人は山ほどいると思う。
しかし、誰よりも寄り添い、その会社のこと、
その会社の一人ひとりを愛おしく思っている同業者は
他にはいないと言い切れる存在になる。
それが特命に応える第一歩。
コピーライターの本質
コピーライターになりたいという希望者は増えているのか減っているのか。私もかつて通った宣伝会議のコピーライター養成講座は、オンラインも選択できるようになっています。コピーライターという仕事は、広告制作上に必要な職業として、それはおそらくメディバイイングに付随する仕事として、広告代理業から生まれたものだと思われます。メディアそのものが変化していく中で、コピーライターの仕事の本質は何かと考えた時、私はやはり「言葉にならない思いをそれでも伝えたい人のお手伝い」だと思います。
人は、言葉にしなければ認識できないし、認識することで人生を前に進めることもできるし、組織をうまく切り盛りする力にもなる。売れるかどうかよりも、「そこまで言えればやった甲斐がある」というあたりが、健全な心持ちのようにも最近感じます。
人を動かしたいとか、社会を変えたいとか、そういうことは一見すると高い志に見えますが、最近の私にはそれはあまり響かないことで、そんなことよりお前が変われと思うことがしばしば。私がおつきあいさせていただくお客さまに、そういうことを言い出す人はいなくなったのも良い流れだと思っています。言葉は綺麗に使うというのも、社会的なマナー。
いずれにしても、言葉にならない思いを言語化する、または自分で考える方法や筋道を整える、その辺りの仕事は、メディアの変化にかかわらず、コピーライターの仕事の本質的な部分として際立っていくのではないかと思います。コピーライター養成講座は、方法論や実例が示されることが多いですが、このようなことを誰かが言い出しているといいなあと思います。
コピーライター_雑感
7月が終わろうとしている。チラシは校了となり、会社案内はまだボールを握ったまま。社長の思いのまとめと編集は年内いっぱいかかりそうな感じ。その他、手付かずのいくつかの仕事も8月にお引っ越し。
誰から買うか、どこから買うか。消費者としての自分自身を振り返っても、こういう判断を繰り返していることに気が付く。理念や哲学に共感できると、すごくいい関係で結ばれる。そういうことを某社にお話し、ご提案させていただき、平面に定着した。次は、社内への定着を試みる。
暑さも、エアコンの気持ちよさも思考を曖昧にしますが、気持ちだけは切らさずに、夏のうちに書き上げるべきは書き上げようと思う。世に出た広告からはわかりませんが、作り手は、その時の季節とともに記憶する。暑さのなか書いた言葉は、逞しさもあれば、爽快な突き抜け感もある。それは、作り手としての密かな愛だったりする。
言葉の力
言葉は、人を救う力がある。
(もちろん、反対の力もある)
売りたい、人にきてほしい、伝えたい、自分のやったことを後世に残したい・・・
このような思いがコピーライターに託される=受注
まさに、7月はそんな案件が3つ続き、これまでの自分とは違う意識で静かに経営者と向き合った。
言葉には、記号を超えた意味があり、気持ちがあり、魂がある。
これは、私がコピーライターになったばかりの時にはあまり意識していなかったこと。その頃は、かっこいい言葉、大きい言葉、尖った言葉を探してた。それはイコール、かっこよく見せたい自分、大きく見せたい自分、尖りたい自分がいたんだと思う。
プラスの言葉だけを吐くこと、マイナスの言葉を言わないという覚悟、そういうことも言葉の仕事をしながら大切に思うようになった。昨日、企業の内部がぐちゃぐちゃで何をすれば良いのかわからないと言う相談を受けた。私には、それを言葉で解いてくことしかできないけど、大抵はそういう企業は即効性が必要で時間が待てないのも事実。
良い言葉が、良い企業をつくる。プラスの言葉に、人は集まる。人が来なくなった店には、愚痴や不平不満が充満していると言うのも有名な話。ネットの時代は言葉の時代。コピーライターじゃなくても、誰もが日常から心がければ、少しずつ世の中がよくなるよって話。