企業の言葉は、経営者の心の声です
物が捨てられないという人がいます。今あるものにしがみつかなければ、もう入ってこないと思っているのだと思います。捨てる人は、どんどんと循環して入ってくると思っています。どちらも、自分の考え方や世の中の見方の結果です。社員に「がんばれ」と言う経営者は、どこかで社員は頑張っていないと思っているのかもしれません。常にがんばれという言葉よりも「ありがとう」が先に出てくる経営者は、社員はいつも頑張ってくれていてありがたいと思っています。
企業の言葉は、経営者の心の声です。これは、経営者にインタビューさせていただいたり、取材をさせていただく中で感じること。同じ現実でも、それをその社長がどのように見てるかで、出てくる言葉が違い、理念が変わってきます。コピーライターの限界です。言葉を持っていっても、それを受け取る人の気持ちや心理がそこになければ、絵に描いた餅。素直さや受け止める力が、救いとなることもあります。
その人から出てくる言葉は、その人のものの見方の結果であり、その企業の現実は経営者の社員を見る目、市場を見る目の結果。楽観的に市場を見ると前向きで明るい言葉が出るし、悲観的に見るとその逆。どちらにしても、見ているのは同じ世界。言葉はものの見方が決めるという観点から言えば、そんなことが言えるなあと思う今日この頃です。困難に遭遇するのは常ですが、いつもできる方法を考え、感謝と愛の眼差しで世の中を見つめたいものです。
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広告の言葉
目標もなく、ただ淡々と生きている人を、現代社会は見落としているように思われる今日このごろ。高度成長の文脈の中で、利益をあげる人は素晴らしい、生産性の高い人は素晴らしという賞賛あり。それはそれで、この国の成長に貢献されたという意味で、素晴らしいと思う。広告の言葉も同じで、アピールとは自己の有用性や生産性の高さを誇示するものだとなった途端、最近の時代空気には置いていかれるように思われるのです。
近代化がプラザ合意で円が強くなった時に達成されたとするならば、それ以降は、その惰力で走り、価値観も大きく変わらなかったように思う。合理主義が全てという価値観も、ここにきてようやくそうではないという曲がり角。素晴らしいアピールはもう多くの消費者に飽きられているのではないかと仮定してみる。
生産的じゃなくても、ただ自分の生まれてきた意味を問い、魂に誠実に生きる。こういう清々しく、気持ちのいいひとを何人も見てきた。少なくとも、そういう人に肩身の狭い思いをさせない、邪魔をしない言葉を考え、表現するコピーライターでありたいと思っています。
言葉と経営_その後
アマゾンプライムで、ジャニーズwの若きスターたちが、太平洋戦争を経験された方々に話を聞きにいくというドキュメンタリー番組を視聴した。番組制作者の狙いは、体験談を通して平和の尊さを伝えることにあるのかもしれませんが、私は、戦争体験とその後を語っておられる80歳、90歳の方の話を拝聴しながら、洗脳とそこからの解脱を思わずにはいられませんでした。
洗脳とは、当時の日本国の洗脳です。思い込ませる、信じ込ませる。そして、若干14歳の少年が敵国に憎しみを抱き、魚雷を載せた小さな船で軍艦に向かっていく。それは、思考の刷り込みあってこそ。彼がそれから解かれたのは、終戦後、家に帰り親が背中にしがみついて泣き崩れた時だと言います。もちろん、それは解かれたきっかけであり、その後、長い時間をかけて溶解し、自分のやったことの罪深さを知り、悲しみ、途方に暮れたと想像します。
洗脳と解脱は、いつの社会にも共通することだと思います。例えば、CONERIは、経営に言葉は重要であり、効くと信じています。それは、そうとは思わない人から見ればただ洗脳されているだけに見えるはず。逆に、同じように信じている経営者がCONERIのお客さまです。そして、それは一定の効果があるので対価として報酬をいただき、継続的にお付き合いいただいています。
人生とは、洗脳と解脱の繰り返しかもしれません。信じる時には、気持ちがその方向に入り、万事エネルギーに満ちて上がっていく。そこに一抹の疑問を持った時に、それは崩壊していく。それは、次のステージ=洗脳?に向かう兆しかもしれません。人は誰でも信じて疑わないものを生き、気づけばそれに後悔もあれば達成感もある。言葉と経営への信念はいまだに揺らぎませんが、それを多角的に客観的に考える余裕が出てきた今日この頃です。
高松市広報アドバイザー
どこからものを言うのかが大事
世の中の経営者をたった一つの視点で二分すると、
1、自分が優れていることを証明しつづけないと立場の危うい経営者
2、自分は優れていることを証明しなくても安心していられるような環境を築いている経営者
という優劣の感情で見ることができます。
後者は劣っているわけではなく、大きな言葉で言えば、「愛」の精神で組織を固め、お客さまにも愛されるといういわゆる心の信頼関係を築いているのだと言えます。前者は、利害関係、儲かった、損をしたという関係が土台だろうと思います。
これは、教員にも言えることです。一定の優秀さがあるので採用されているという前提で、その後生徒や保護者とどのような関係性を築くのか。心の信頼関係か、利害関係(できる、できない、受かった、落ちたで一喜一憂する)。
優劣感情は、勝っているうちはいいですが、必ずやってくる負けの時に、恐怖となり、不安が怒りと変わり、人や社会が敵に見えてしまう。戦争を率いる指導者に近いのかもしれません。
これまで多くの経営者と向き合ってきたなかで、この視点は、重要なことを示唆してくれているように感じます。どちらが良い、悪いではないのかもしれません。事業の目的を利益の最大化というところにおけば、いずれでも儲けが出れば優れていると言えるかもしれません。しかし、私はあえて後者の立場を大切にしたいと思います。生き方の問題かもしれません。「言葉と経営」の観点と親和性の高いのは、後者だということです。このことは、言葉の仕事として、癒し、望む方に向かわせることができます。言葉=思考だからです。恐怖や不安、怒りからものを言うのか、愛の精神でものを言うのか。興味のある方は、一緒に考えてみませんか。