【これも、コピーライターの視点_146】
今週は、厄がぶじに開けた御礼参りからスタート。月曜は某新聞社広告局の方との打ち合わせ。先週うかがうと、6人の局員に囲まれました。それだけ社を挙げた大きなプロジェクトなのだと思います。火曜は朝から大阪大学でSDGsのセミナー。水曜、木曜は得意先との打ち合わせ。春に出す新商品のコミュニケーション戦略が佳境に差し掛かっています。金曜は、子どもの小学校の卒業式にPTAとして出席。週末は、子どもの野球の公式戦が開幕します。「春までには克服しよう」「春までには〇〇ができるようになろう」と年末は31日まで、年始は2日から特訓したことが思い起こされます。寒かったし、耐えた冬でした。しかし「そのとき」は必ずやってくるのです。いまさらバタバタしても、積み重ねた者にはかなわないでしょう。毎週水曜に開いている国語・現代文の単科塾「OSアカデミア」で、自主勉強として古典単語の暗記を見ている生徒がいます。500余りの単語を1週間に100個ずつで1ヶ月ちょっと。夏までに1冊を4回通り繰り返そうという見通しで指導していますが、彼は100個を数パーセントの誤答率で見事に覚えてきています。見えない足腰の鍛錬の怖さを感じます。彼は夏以降に大きく飛躍します。息子の野球塾での指導を見ていても思いますが、指導者としてのたしかな見通しのうえに子どもは安心して成長することができます。指導とは、すべからくそういうものではないかと思います。指導というにはおこがましいですが、得意先のコミュニケーション戦略も同じ。たしかな見通しがわたしのなかに描けなければ、一緒になって導くことはできません。寒の戻りもありそうですが、芽吹く春の予感です。
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今週の動き
ぶじ論文を出すことができました。大学の先生や博士課程の学生の力はすごいものだと改めて実感。ご指導いただけるのはありがたいことです。知の最前線は、断片的に得意先のコミュニケーション戦略に生かされていますが、学問として認められるかどうかは、学会の判断する世界。その締切は先週金曜で、土日は子どもの野球。練習試合で塁審デビュー。成長しようとしている瞬間に立ち会える喜びは何ものにも代えがたいものです。
来週は、高松からのスタート。月曜は某新聞社広告局と打ち合わせ。火曜は大阪です。大阪大学と学術交流パートナーの1校である上海交通大学とスマートシティという新しい分野での交流を始めており、教授がお話になるので勉強。その後、岡山で得意先と取材。水曜は現代文の単科塾「OSアカデミア」今週は、言語論。木曜、金曜はボランティアの会もありますが、原稿と企画書がたまっているので、思考の時間をたっぷりと取りたいと思います。
グランドで春の兆しを感じました。耐えた寒さが緩みはじめると、物事がすべて上向く感じがして好きです。
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<魂>
【これも、コピーライターの視点_145】
目に見えない世界に言及するとおかしくなったのではないかと思われる方も多いとおもいますが、何となく感じちゃったんですね。魂というやつを。いま生きている現世、その前の前世、そして来世。ずっと魂はあって、現世にわたしたちは肉体を借りて降りてきているのだという説を、根拠もありませんが肯定してしまいます。幼子の観察をしているとよくわかりますが、暴れずにおれないとか、泣かずにいられないとか、極端な感情表現は、魂の居場所として心地よくないよ、というメッセージと見ると、彼らの行為をありのまま受け止めて、包容できそうに思います。
言葉というのもまた、その方法の一つではないかということです。わたしはコピーライターの仕事のなかでも、人を解放する言葉を指向する傾向にあるように自認しています。何かにとらわれて苦しんでいる状況からふっと楽に抜け出せる言葉。広告という企業活動の一環を支援するのも言葉なら、人は自分が救われたり、自由になったり、テンションが上がったりしたときに、財布のひもを緩めて、社会とリンクしようという意欲がわいてくるのではないかと思います。
言葉が社員の成長に生かせるというのも、まずはありのままの存在を肯定できるところからスタートするのではないか。それぞれの存在を認め合うところに、成長の原点があります。それは、魂は平等だということでしょうか。生きづらさを抱えながらも何とか魂を磨きたいと願うのが人間であるとするなら、あとは時間の問題でしょう。歯車がかみ合うには、どうしても時間、タイミングが必要です。人間をどのような存在ととらえるかによって、言葉が変わってきます。その言葉が、企業のコミュニケーションの一つであるなら、ブランド価値に影響を及ぼします。
魂のレベルで生き方を見通していくと、その安定する方向は意外と自然に見えてくるように思います。余計な雑音が耳に入ってこなくなるし、魂の連続性が見えれば、肉体を与えられているうちにやるべきことも見えてくるというのでしょうか。昨夜は、得意先の新年会(2月ですが!)で、こんな話をしました。生きることは、魂を磨いていくこと。見えない世界の話ではありますが、信じる価値のある考え方であると感じています。
<今週の動き>
今週も、大阪からスタート。火曜まで。水曜以降は、得意先との打ち合わせが2件ある以外は、溜まっている制作の時間。ラジオCM、企画書、原稿、セミナー準備などなど。金曜は、お誘いいただいた飲み会。土曜は、得意先と遅めの新年会!
週末は子どもの野球でした。午前は学童さんによる審判講習。午後からは、練習試合2試合。最終学年として、チームに貢献できる最後の年です。
いまのわたしに転勤は関係ありませんが、新入社員として就職した会社は転勤の可能性があり、わたしはそれを快く思っていませんでした。当時はまだ結婚なんて予定すらなかった時期ですが、子どもができれば、子どもの成長のそばで過ごしたいと願っていました。幸い、いまはそういう生き方が現実となり、子どもがやりたいと言ったことの応援をさせてもらっています。神様に感謝です。それももう、中学にもなれば、親の手からは離れていくでしょう。最後のご奉公を楽しみながら、自分の仕事も少しずつ離陸の時かもしれません。大阪に向かいながら、そんなことを考えています。
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<モノサシの誤りかもしれないという仮説>
【これも、コピーライターの視点_141】
ゆとり教育は失敗だったという向きがあることは誰もが聞いたことがあると思います。しかし、わたしは、ゆとり教育の評価を、これまでと同じ偏差値ではかろうとすることに無理があるのではないかと感じることがあります。もっと多様な評価の観点はなかったのか。教育の現場にはあったのかもしれませんが、社会的にはどうしても大学入試という「出口」が変わっていない以上、失敗となっているのかもしれません。
このように、新しい取り組みには、新しい評価指標が必要です。教育の場合、どのような「学力」を子どもにつけるのか、ということがその最大にして本質的な軸。企業経営であれば、どっちに転んだって「儲け」というものが重要ですが、その儲けを生み出す過程が、これまでとは変わってきている。ある建材メーカーからの相談で、コミュニケーション戦略の構想・企画・制作・運用についてお話をする機会に恵まれました。そこで少し考えたこと。
いつの時代も、企業はモノやサービスを売らなくてはならない。売上とか粗利率という「出口」を保証するには、その過程が時代に応じたものでなくてはなりません。いま、この時代を生きる私たちに働きかけることで、心を揺さぶり「買ってみよう」と思わせることが必要です。その過程は、コピーライターの開発した言葉も一つの軸になり得ますが、営業マン一人ひとりの考え方やものの見方が問われる時代です。そして、組織である以上、その考え方に対する評価も必要。意識が変われば行動が変わり、行動が変われば売上が変わるとするなら、意識の変容を捉えた社員の評価をトップは観察する必要があります。
わたしは、ゆとり教育の世代は、社会が言うほど悪いものではないのではないかと思います。社会のモノサシで見ず、一人ひとりの人間のなかには、ゆとり教育でしか得られなかった良さが必ずあるはずです。人を生かすも殺すも、トップの決める人の評価の視点であり、それは言葉の仕事と密接にかかわってきます。CONERIが言葉と思考をセットにして売っているのには、そういう理由もあります。
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