感謝と見通し【16年目のCONERI】
今日でCONERIは16年目に突入します。
広告代理店の仕事に端を発し、次にお客さまと直接対話のできる直接取引を志向し、コピーライターの仕事の領域の垣根を破壊・再創造した16年でした。もはや、コピーライターは宣伝文を考えるだけではないということを、実践を通して示してきました。
企業経営においては、企業理念を最上位として、広報・広告、社内施策、営業展開、商品開発の4象限すべてにおいて、言葉は軸となり、軸がしっかりしているからこそ、ブランドが形成されます。このような考えを拙著「言葉と経営」として世に問い、そのご縁でお仕事も広がってきました。有り難いことです。
16年間で、わたし自身の肩の力も抜けてきて、いい意味で気楽に楽しく仕事ができるようになりました。コピーライターの仕事は、文章力より先にものの見方が立ちます。わたしは、包摂とか多様性という視点を大事にしています。やさしさとも言えると思います。言葉を扱う仕事の責任を認識しながら、また1年、力を尽くしたいと思います。仕事は愛情表現です。効率でも規格でもなく、ご縁をいただいた方一人ひとりに愛情を注げるよう、心身の健康にも留意して日々を楽しみたいと思います。16年目のCONERIもよろしくお願いいたします。
思いがすべて
CONERIが貫くところ
CONERIの信念は、「言葉と経営」、そして「クリエイティブを資源とした経営支援」。
「言葉と経営」とは、経営の中核には言葉が最重要であり、企業・組織におけるその最上位には理念が立ち、以下、アプリケーション(サイン計画や宣伝計画、社内政策など)に論理的に展開されることが重要。
「クリエイティブを経営資源にする」とは、クリエイターと事業者による恒常的な交流により、互いの持つ言葉や商習慣を少しずつすり合わせながら、一緒に面白いことを創り上げていくイメージ。先行事例に大阪のメビックが挙げられます。その民間版。
歴史的にみても、文化が成熟し花開くのは、人口が減少または停滞している時期(速水融「歴史人口学事始め―記録と記憶の九〇年/ちくま新書」。さらに「人口減少をきっかけに拡大一辺倒から価値観を転換し、文化を成熟させる方向に社会やお金の回し方を変えていくリーダーが必要となる」(同)。CONERIがお付き合いさせていただいている企業さんたちは、みな、その「リーダー」になる可能性を十分に秘めていると思っています。
CONERIは、広告からクリエイティブに入りましたが、平面を超えて、コトを起し、人、モノ、情報、お金の大きな流れを生み出すのに、クリエイティブは必要不可欠であり、さらに言えば、それを扱える企業と扱えない企業に二分される時代がきていると見ています。クリエイティブで世の中を面白く!
「書いて書いて、書きまくれ!」
#コピーライターの考えていること#03
「書いて書いて、書きまくれ!」
画像や動画の時代に、書いても読まれない問題があります。「そんなに書いても読んでくれない」というのは、書き手が企業経営者の場合は企業の悩みであり、書き手がコピーライターの場合は、それを採用するかどうか決める企業側の判断の声であったりします。消費者としてのわたしも、たしかにそういう時もあります。SNS上での情報は、1秒。とにかく時間がない。情報が多い。読み流す。読み飛ばす。見たつもり。眺める。しかし、「これは!」と思うことは、もっと知りたい、もっと読みたい、もっとかかわりたい。
企業が言いたいことは、すべて言葉にする。これは間違った方法ではありません。視点は二つ。一つは、瞬時に掴む言葉と読み込ませる言葉の区別がつけられていること。二つは、読まない人をターゲットとしないというセグメントや、消費者に知的に挑む姿勢がブランディングに通じているという考え方。言葉を尽くすことは、無駄ではありません。どこの誰が読んでいるのかわからない。しかし、尽くした言葉は、必ず届いているものです。仮に言葉が届かなくても、その熱意や姿勢は伝わる。私たちは、そういうものに共鳴して生きているのだと思います。
タグ:#CONERI #コミュニケーション #コンサル #デザイン思考.#東京 #言葉と経営 #人見 #理念 #企業理念
「共感社会から共鳴社会へ」
コピーライターの考えていること#02
「共感社会から共鳴社会へ」
・きょうかん【共感】(sympathyの訳語)他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解したりすること。同感。
・どうかん【同感】同じように感ずること。同じ考え。
SNS時代のマーケティング理論では、共感がコミュニケーションのはじめに来ると言われていますが、おそらくそれは理屈のうえのことであり、実際は無理があると思っています。ここに挙げている言葉の定義は広辞苑第5版からですが、共感で「全く同じように」というのは本当に無理な話で、それぞれに自分の経験や現在の感情に照らし合わせて、心を響かせているのだとわたしは思います。自分の文脈で影になっている部分には、共感しづらい。やはり、この時代は誰もが「自分」に焦点を当てているのではないか。個人主義の時代の最果て。自分の魂に素直に生きるというのが無理のない方向で、それを外部の刺激(言葉など)によって増幅されたり、逆にストレスを掛けられたりしているのがこの時代のコミュニケーションだと考えています。つまり、一人ひとりは、自分の魂に共鳴しようとしている。個人の共鳴の和がおりんのように響きあうと、共感が生まれるのではないか。共鳴できる言葉が「届く言葉」なのだと思うのです。共感社会から共鳴社会へ。共感形成の視点で論文を書かせていただいてから1年。共感から共鳴へ、わたしの考えは少しかわりつつあります。
きょうめい【共鳴】①[理](resonance)物理系が外部からの刺激で固有振動を始めること。特に刺激が固有振動に近い振動数を持つ場合を指す。共振。②[化]ポーリングが提唱した、分子の化学構造についての概念。③転じて、他人の思想や意見に同感の念を起すこと。
付録:共感形成の視点に立った「土木」の論考(https://policy-practice.com/db/4_215.pdf)