それで望む未来は見えるのか
経営者は、あの手この手を尽くして利益の最大化を図ろうとする。当たり前のこと。時に会計に窓から覗き、時に人材採用の窓から覗き、教育の観点、新商品の開発の観点と、おそらく部課組織は観点別で、それら一つひとつの観点から過去からの流れをもとに現在を観察する。部長をトップとする部員は、統合知の最上位である理念やパーパスなどを顧みて、そこに合致する内容を土台として考える。これが下からの矢印。そして執行役員などの経営企画室のような部門は、上からの矢印として統合知を下へと検証する。この両方の矢印が磨かれると、企業価値は高まりやすいようにおもう。そして、両方の矢印は、同じ未来を寸分違わず見ないといけない。同じ未来が見えるまで、上からと下からとでやり合っていける企業は素敵だとおもう。
試みとして
振り返ればコピーライターの黄金時代とも言えた糸井重里さんが1行100万円とも1,000万円とも言っていた時代は過ぎ去り、AIでも書ける時代に、コピーライターの意味はあるのか。その意味または価値を自らの手で切り開く時代に差し掛かったように思います。
一つの私の仮説は、言葉はエネルギーであり、エネルギーや熱意、魂を込めた表現には相応のリアクションが来るであろうというこの世の法則みたいなもの。バイアスというものもそうですね。バイアスとはネガティブなものではなく、極めて人間らしい主観でもあり、その匙加減は、まだAIでは十全に行えないように思います。時間の問題かな。
いずれにしても、それでも言葉をつむぎ、コピーや文章を書いていくという営みは、エネルギーやバイアスに一つの価値を見出す人とどのくらい共鳴できるか。これもまた実験的で面白い。
すでに6年目に突入している国語や英語を子どもに教えるという仕事は、正しい言語運用能力を磨く上で、コピーライターの職と相乗効果になっています。さらに精進して、AIとの共存を図りたい。AIにできることはお任せ、できないそれでもと注文のいただけることには最大のエネルギーを投下したいと思います。
少しずつ感じる変化
求人情報を書くという仕事は、今も昔もコピーライターの仕事として変わらない。しかし、年々暖簾に腕押しというか、書いてても虚しさが残る。ちょっと前までは、いろんなことを犠牲にして、就職や転職を希望する組織に自分を合わせにいくことが暗黙の了解であり、そのような犠牲の上に企業と求職者のお見合いが成立した(しやすかった)のだと思う。
しかし、今は、犠牲にするのはおかしい、あれもこれも大事なんだ、という主張が通りやすい時代空気になってきた。子育てパパ、親の介護などはその一例。そんなものを犠牲して働くなんておかしいという主張を、企業はある程度聞かなくてはいけない。もっと目には見えない個人的な価値観は山ほどあると思う。多様性ですね。
企業とはこういうものだから、組織とはこういうものだから、というこれまでの価値観や常識といった類のものも、今の求職者には一つひとつ点検、検討する対象であり、納得しないと動かない時代だと感じています。当然、「俺はこうやってやってきた」と犠牲を主張し、正当化する向きも出てくる。両者の溝はおそらく一生埋まらない。どちらが正しいということもなく、そういう時代空気を感じるという話。そういう空気感を文章で伝えるのは、難しい。難しいが、やらないと企業と求職者のお見合いは、うまくいかない。うまくいかないと、企業は露出を増やす。結果、求人サイトばかりが増えて、意味のないコンテンツが宇宙に拡散されるばかりではちょっとね・・・だから。
ありがとう! これからも!
実現したい未来がある。すると、自然と熱い思いが芽生え、語りたいメッセージが生まれる。人が言葉を求めるのは、このような時だと思います。コピーライターとして務まるには、この思いの熱量に等しいか上回る熱意を持って向き合えることが条件だと近年思うようになりました。
CONERIは、明日で18歳になります。今日までご愛顧をいただき、支えてくださった皆さまに感謝申し上げます。18歳は成人ですが、大人のふりをせず、いつまでも熱いコピー好きでいます。18年目も一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします。
関わらせていただいた方がうまくいくのを見るのは嬉しい
コピーライターとして、その存在が全てとは言い切れませんが、多かれ少なかれ関わらせていただいた方々がうまく行っている姿を見るのは、とても嬉しい気持ちになります。
・コピーライターとして子どもたちと企業のコーディネーター役として新商品の開発に関わり、その取り組みが子どもの成長だけでなく、指導教諭が論文化し、高く評価されていたこと
・ネーミングをはじめとするブランディングに関わった商品が「売れてますよ」と報告をいただいたこと
・言葉で事業やサービス内容を「整理」して「伝える」お手伝いをさせていただいた企業が、順調に推移していること
・混沌としていた経営者の頭脳が、社長の思いを整理して表現することで、スッキリしたこと
広告とかブランディングとか、くくる言葉は色々時代によって変わりますが、やりたいことを言葉で整理し、伝わるように加工して見せるという営みは、いつの時代も同じだと感じています。言葉はエネルギーそのもので、その意味で、いまだにどんな仕事でもその経営者や商品が憑依してきた状態で生み出すということにも変わりありません。形式的な言葉をスルーする知恵を広告やブランディングの手法の進化とともに人々は身につけてきていると思います。平易な言葉でも、そこに魂の宿った言葉を生み出す、これは経営者ご自身がされるのがベストとは思いますが、その手に余る場合は、コピーライターの出番なのだろうと思っています。